大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和58年(行ツ)98号 判決

上告人

菊地康明

上告人

山村宏

上告人

柴田稔

右三名訴訟代理人弁護士

田代博之

外二九名

被上告人

静岡県教育委員会

右代表者委員長

松島勇平

右訴訟代理人弁護士

堀家嘉郎

御宿和男

右指定代理人

成田浩

外三名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人田代博之、同石田享、同渡辺昭、同名倉実徳、同森下文雄、同大蔵敏彦、同小林達美、同西山正雄、同杉本銀蔵、同澤口嘉代子、同佐藤久、同藤森克美、同白井孝一、同清水光康、同伊藤博史、同大橋昭夫、同市川勝、同渡辺正臣、同橋本紀徳、同藤本斎、同宮道佳男、同北條雅英、同松本晶行、同平山正和、同香川公一、同長山亨、同春田健治、同中村康彦、同松丸正、同高野孝治、同大賀良一の上告理由第一点の一について

所論の文化財享有権なる観念は、いまだ法律上の具体的権利とは認められないから、それが具体的権利であることを前提とする所論違憲の主張は失当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第一点の二及び三について

不適法な訴えにつき本案の判断をせずにこれを却下しても、憲法三二条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(昭和三二年(オ)第一九五号同三五年一二月七日大法廷判決・民集一四巻一三号二九六四頁)。また、所論憲法三一条違反の主張は、本件訴えが適法であることを前提とするものであるが、上告人らは本件史跡指定解除処分の取消しを訴求する原告適格を有せず、本件訴えが不適法であることは後述のとおりであるから、右主張は、前提を欠き、失当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第二点ないし第四点について

本件史跡指定解除処分の根拠である静岡県文化財保護条例(昭和三六年静岡県条例第二三号。以下「本件条例」という。)は、文化財保護法(以下「法」という。)九八条二項の規定に基づくものであるが、法により指定された文化財以外の静岡県内の重要な文化財について、保存及び活用のため必要な措置を講じ、もって県民の文化的向上に資するとともに、我が国文化の進歩に貢献することを目的としている(一条)。本件条例において、静岡県教育委員会は、県内の重要な記念物を県指定史跡等に指定することができ(二九条一項)、県指定史跡等がその価値を失った場合その他特殊の理由があるときは、その指定を解除することができる(三〇条一項)こととされている。これらの規定並びに本件条例及び法の他の規定中に、県民あるいは国民が史跡等の文化財の保存・活用から受ける利益をそれら個々人の個別的利益として保護すべきものとする趣旨を明記しているものはなく、また、右各規定の合理的解釈によっても、そのような趣旨を導くことはできない。そうすると、本件条例及び法は、文化財の保存・活用から個々の県民あるいは国民が受ける利益については、本来本件条例及び法がその目的としている公益の中に吸収解消させ、その保護は、もっぱら右公益の実現を通じて図ることとしているものと解される。そして、本件条例及び法において、文化財の学術研究者の学問研究上の利益の保護について特段の配慮をしていると解しうる規定を見出すことはできないから、そこに、学術研究者の右利益について、一般の県民あるいは国民が文化財の保存・活用から受ける利益を超えてその保護を図ろうとする趣旨を認めることはできない。文化財の価値は学術研究者の調査研究によって明らかにされるものであり、その保存・活用のためには学術研究者の協力を得ることが不可欠であるという実情があるとしても、そのことによって右の解釈が左右されるものではない。また、所論が掲げる各法条は、右の解釈に反する趣旨を有するものではない。

したがって、上告人らは、本件遺跡を研究の対象としてきた学術研究者であるとしても、本件史跡指定解除処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有せず、本件訴訟における原告適格を有しないといわざるをえない。右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第五点について

論旨は、要するに、文化財の学術研究者には、県民あるいは国民から文化財の保護を信託された者として、それらを代表する資格において、文化財の保存・活用に関する処分の取消しを訴求する出訴資格を認めるべきであるのに、これを否定した原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものである、というのであるが、右のような学術研究者が行政事件訴訟法九条に規定する当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」に当たるとは解し難く、また、本件条例、法その他の現行の法令において、所論のような代表的出訴資格を認めていると解しうる規定も存しないから、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官伊藤正己 裁判官安岡滿彦 裁判官貞家克己)

上告代理人田代博之、同石田享、同渡辺昭、同名倉実徳、同森下文雄、同大蔵敏彦、同小林達美、同西山正雄、同杉本銀蔵、同澤口嘉代子、同佐藤久、同藤森克美、同白井孝一、同清水光康、同伊藤博史、同大橋昭夫、同市川勝、同渡辺正臣、同橋本紀徳、同藤本斎、同宮道佳男、同北條雅英、同松本晶行、同平山正和、同香川公一、同長山亨、同春田健治、同中村康彦、同松丸正、同高野孝治、同大賀良一の上告理由

第一点 原判決の憲法違反について

原判決は、上告人の主張した原告適格について排斥したが、右は後記憲法の各条規の解釈適用を誤った(民事訴訟法第三九四条)ものといわなければならない。

一、憲法と文化財享有権

上告人らは、控訴審において、国民の文化財享有権が憲法によって保障された具体的権利であり、従って、上告人らの原告適格は認められるべきものであると主張したが、原判決は後記の憲法上の文化財享有権について何ら判断せず、上告人らの文化財享有権を排斥した。これは原判決が実質上、上告人らを含む国民の文化財享有権を保障した以下掲記の憲法の各条規の解釈適用を誤ったものといわなければならない。

憲法第一三条は、生命・自由・幸福追及の権利は国政上最大の尊重を必要とすると規定している。そして、プライバシーの権利が憲法第一三条にその実定法上の根拠として認められているように文化財享有権という具体的権利も同条に規範的根拠が具現されているのである。

文化財享有権は、文化財を糧とする精神文化の恵沢において国家の施策を積極的に求める社会権的基本権であり、憲法第一三条の幸福追及の権利は実質的には、生存権もしくは社会権をも含むと解されている(小林直樹、ジュリスト四九二号二二頁)。

文化財は、生きた歴史教育、真理探究の重要な素材であって、文化遺産が自由に活用されなくてはならず、文化財を保護することが「学問の自由」(憲法第二三条)教育権(憲法第二六条)を実質的に保障することになり、憲法二三条、憲法第二六条によっても文化財享有権は実定法上の根拠を有している。

憲法第二五条は、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営なむ権利を有する」と宣言している。健康で最低限度の生活とは、世界人権宣言第二三条第三項の「人間の尊厳にふさわしい生活」であり、ワイマール憲法第一五一条一項の「人間に値する生存」と同じ意味である。人間に値する生存の確保のためには単に経済的な利益だけではなく、精神的・文化的利益をも国家は保障しなければならない。

強大な国家権力、肥大化する官僚体制、機械文明下の現代社会においては、特に精神的文化的利益を国民が享受することが、生存権の文化的側面として不可欠の要請となっている。

従って、憲法第二五条も文化財享有権の実質的根拠規定となっている。

このように、憲法第一三条、同第二三条、同第二五条、同第二六条によって文化財享有権は憲法上保障されている具体的権利である。そして上告人らが学術研究者として本件伊場遺跡に関して主張している争訟上の権利ないし利益の実体的帰属も又、右憲法上の条規に淵源する。

原判決は右の点について判断を逸脱しもしくはこれが解釈適用を誤り排斥したもので、違憲を免れない。

二、原判決における憲法第三二条違反

憲法第三二条は「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と定めている。国民は法の定める公正な裁判所の裁判を請求する権利を有するものであり行政事件における訴権も本条によって保障されている。

裁判所は、適法な手続で提訴された事件については、これを拒絶したり怠ったりすることは許されない「司法拒絶の禁止の原則」が保障されている。

後述のように、行政事件訴訟法第九条の解釈によれば上告人らに原告適格があることは明白であるから原判決が原告適格なしとして上告人らの憲法第三二条によって保障された「裁判を受ける権利」を排斥したことは明らかに違憲であり、これが是正を免れない。

三、原判決における憲法第三一条違反

憲法第三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定している。

憲法第三一条は、行政手続においても適用されるかは議論のあるところであるが、行政権の行使によっても国民の権利・自由を奪うことは許されないのであって、行政手続においても保障されるべきである。

被上告人が文化財保護法、静岡県文化財保護条例に違反し、伊場遺跡を正当な手続を経ずに解除したことは、控訴審における控訴理由書で詳述したとおりであり、ことに被上告人により運営される静岡県文化財専門委員会の運営および答申(甲第三一号証)は、明白かつ重大な違法な手続によるものであった。

昭和四七年九月一三日開かれたとされている同委員会は、被上告人によって指定解除の諮問に対し、学術的見地から反対あるいは消極的意見を持つとみられた委員を除外して開かれており、地質学の鮫島委員や歴史学の若林委員も委員会開催通知を受理していない。

又、九月一三日段階で専門委員会が審議すべき学術調査結果は存在していないのであるから実質上「審議」はなかったのである。

甲第三一号の内容をみても、学術的審議がなされた形跡はなく、「高架年来のため」「やむをえない」という他事考慮であり、学問的な遺跡の検討もしていないのであり「学術審議」は行われていない。

このように明白かつ重大な手続違反の結果適正手続によらず、伊場遺跡が破壊され、国民の文化財享有権が奪われたのであって、上告人らの右主張を排斥した原判決は憲法第三一条に違反するというべきである。

第二点 行政事件訴訟法第九条の解釈適用の重大な誤り

原判決には、原告適格に関し、左のとおり行政事件訴訟法第九条の適用を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるので破棄を免れないものである。

一、法的利益救済説の問題点

原判決は、取消訴訟の原告適格につき「法律に特別の定めがない限り、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあり、その取消等によってこれを回復すべき法律上の利益を有する者に限られるべきであり、右の法律上保護された利益とは、行政法規が私人等権利主体の個人的利益を保護することを目的として行政権の行使に制約を課していることにより保障されている利益であって、それは、行政法規が他の目的、特に公益の実現を目的として行政権の行使に制約を課している結果たまたま一定の者が受けることとなる反射的利益とは区別される」と判示している。

これは、いわゆる法的利益救済説(法律上保護された利益説)といわれている説を採用したものであるが、以下述べるようにこのように解すべき根拠は甚だ乏しく今日これに固執すべき理由はほとんど見出せない。

(一) まず第一に、立法の経過からみても、行訴法九条の「法律上の利益を有する者」を右見解のように限定的、固定的に解釈する必然性はない。同法の立法過程に参加した杉本良吉判事が、「いかなる場合に行政庁の行為により権利その他法的利益の侵害があったと認むべきか、またいかなる場合に法律上の不利益を被ったか、その限界を画することは困難であり、学説、判例の発展にゆだねざるを得ない。本条が『法律上の利益を有する者』と抽象的に規定したのは、そのためである」と述べていることが想起されるべきである。(杉本良吉『行政事件訴訟の解説』三七頁)。

(二) また第二にその後の学説の展開に照しても、今日この法的利益救済説が通説として妥当しうべきかは疑問である。(例えば、原田尚彦「誰の利益」((弘文堂))一頁、兼子仁「行政争訟法」『筑摩書房』二九七頁等)

(三) 第三に理論的な妥当性という点からみても利益救済説(法的保護に値する利益説)に優越する価値を持ちうるかは大いに問題である。

即ち、原判決は、「右『法律上の利益』に法律上保護に値する利益が含まれるものと解することは、行政事件訴訟法第九条の規定の文理上困難であるのみならず、具体的な事案について法律上保護に値する利益を有するかどうかを判断するにあたり、その基準をどこに求めるべきかその判断者の恣意に流れることを避けがたく、かくては法的安定性が失なわれるおそれがあるというべきである。」と述べ、法的安定性を主要な論拠にあげている。

しかし、この点に関する利益救済説(法的保護に値する利益説)との差異は程度問題であり、法的安定性が損なわれるというのは、いわば証明のない臆測である。行政の各分野における事案の特質を通じて、自ずと判断の枠組みは形成されていくものであり、そのような判断の枠組みを作り上げることこそが判例に期待されているものというべきである。

(四) 第四に法的利益救済説の形成過程を理論史的にみても、これは一九世紀初頭のドイツの絶対主義公法学のもとで生まれたもので、美濃部達吉によって我国に受け継がれたものである。

このようにこの考え方は旧き公権論に依拠したものであり、その歴史的制約は免れえないものである。(宮崎良夫「訴えの利益」論ジュリスト七一〇号四一頁)。

(五) 最後に、行政訴訟の性格、機能という点からみても、原判決のとる法的利益救済説には大いに疑問が存するところである。

行政訴訟の基本的特徴は、言うまでもなく、三権分立の憲法構造(三権の相互抑制の原理)に照らし違法な行政権の行使に対する違法性の審査(適法性のコントロール)を通じて国民の権利救済を図るというところにある。

しかしながら立法府の定めた実定法規に無条件に依存し、その結果として国民の権利救済の枠を大幅に狭める原判決の見解が右に違背することは明らかである。また、今日の行政が極めて広範となり、多様化し、そこで用いられる手続、手段も非常に多彩なものとなっていることは論をまたない。この影響によって、例えば等しく「行政処分」と呼ばれるものであっても、その生み出す効果や、それにより形成される法律関係に大きな差異がある。

伝統的法学理論が形成してきた行政法の一般理論では行政各部法の分野をカバーしきれなくなり、「現代社会の諸分野ごとに生成発展してきている新しい現代法分野としての『各特殊法』」(兼子仁「行政法総論」((筑摩書房))三八頁)が主張されるのはこのためである。

こうした行政と市民・国民との利害発生状況の多様化複雑化という状況の変化に対応した、行政訴訟の機能という視点からすると原判決のとる法的利益救済説がこれにそぐわないことは明らかである。

二、文化財行政の特質に根ざした原告適格論

次に、仮に原判決のとる法的利益救済説の立場に立ったとしても、直ちに原判決の下した結論に結びつくものではない。なぜなら、右前提に立っても実体行政法規の個々の文言の表面的解釈のみでなく、その背後にある当該行政の実態に即した法解釈によって究明されるべきだからである。

従って、原告適格の存否を判断するについては、紛争の実態その特質に応じ「法律上の利益概念」の弾力的運用がはかられるべきである。

(一) 本件の焦点である遺跡の保護に関する分野は、文化庁文化財保護部の職員自ら「法律の規定によるもの以外の運用上の措置の幅が広いことを一つの特徴としており、それ故に単なる制度の説明では全体を理解することが困難なほどの広範な展開を示している。」(和田勝彦「文化財保護制度概説」『文化財保護の実務』一六八頁)というように、文財法、文財条例の文言だけでは全く把捉しえない実態をなしている。

よって、文財行政法固有の論理に従い、後述する今日の文財行政の実態に即して解釈されなければならない。

(二) また本件の如き、文化財の指定解除取消訴訟における原告適格については、次の諸点を考慮に入れなければならない。

まず第一に、文化財が国民の共有的財産であるという特質を有することである。殊に史跡は、学術研究上の資料というのみならず当該地域住民の生活環境、歴史的環境の一構成要素たる性格も具有する点であり、住民の共通的利益性が増大する。

また、学術上の必要に応じて妥当な研究能力と適切な問題意識をもった学術研究者による発堀調査及びその成果の研究により、正しい歴史像が解明され、この研究活動を通じて国民・住民がより正しい歴史を学ぶことができることに大きな意義が存する。

文財法、文財条例のいう「国(県)民の文化的向上に資する」とは具体的にはこうした実態上の関係を含意しているのである。

(三) 第二に、本件においては取消訴訟以外の救済手段が聴問手続、その他の不服申告手続を含め、何等存しないことがあげられる。

本件処分のように文財法、文財条例の理念、趣旨に真向からそむき、文財行政の存在意義を無にする措置が何らの司法審査も受けないことは大局的見地における公益に著しく反している。

この処分につき法的に争うとした場合の最適格者は、上告人らをおいては考えられない。

(四) また、右諸点と共に訴訟遂行の適格性、当該行政処分の違法性の程度、破壊された文化財の原状回復の困難性なども含め、これらを総合勘案して原告適格の存否が決せられるべきである。そしてそのいずれをとってみても本件上告人らに原告適格を認めるべきことをさし示しているのである。

三、学術研究者の文財法、文財条例上における地位

(一) 学術研究者が文財法・文財条例上一般国民、住民とは区別される個別的利益を保護されていることは、一つには史跡の現状変更制度(文財法第八〇条県文財条例第三三条)によって裏付けられている。文財法第八〇条の現状変更には、土地の所有者等の権利者による建築工事等の場合の現状変更と、史跡の学術調査のための現状変更とが含まれている。

(二) 即ち、「特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物の現状変更等の許可申請等に関する規則」(昭和二六・七・一三文化財保護委員会規則第一〇号)がその第一条第二項で、「埋蔵文化財の調査のための土地の発堀を内容とする現状変更等の場合における……」と定めているのがそれである。

こうした指定史跡の学術調査は、かつては大学研究室が主体となるのが普通であったが、今日では各地域に形成されている研究団体(各県の考古学協会や考古学会、あるいは上告人山村、柴田の加入している遠江考古学研究会のような団体をいう)が主体となる例の方が多くなっている。このような文財行政の実情に照すならば、「学術研究者の史跡の保存、活用について、学問研究上受ける利益は、原審判決のいうように、「県民及び国民一般が共通してもつに至る抽象的、平均的、一般的利益」とは区別される特別の保護がなされているとみるべきである。

(三) 伊場遺跡の保存問題が起った一九六〇年代末においては、全国の自治体のかかえる文化財専門職は一〇〇人内外であって(今日、その数は二四〇〇人余となっている)民間の考古学研究者及びその団体の参与なしには全く調査や保存活動ができない状況と言っても過言ではなかった。それだからこそ、被上告人の担当者は、上告人らに対し「本件指定の解除について、その経過、理由などを説明し、事前にその諒承を求める」などの当事者として扱ったのである。そしてこのことは、前述した学術研究者の遺跡についてもつ法的利益を別の面から裏づけるものといえよう。

(四) 次に原判決は文財法第五七条第一項の解釈として、「その調査のために土地を発堀しようとする者」は、処分の相手方として、原告適格を有すると判示している。しかし、そもそも発堀しようとする者が禁止等の処分を受けたときに侵害されたとみられる実体的な権利は何であろうか。

原判決の見解では、おそらく「土地所有権の自由」がその実体的な権利と考えられていると思われるが、「調査のため発堀しようとする者」は必ずしも土地所有権の行使として調査するわけでないことは明らかである。そうすると原判決が調査者の立場において、発堀しようとする者に原告適格を認めるとすれば、その者に土地所有権以外の何らかの実体的権利のあることを前提としているはずである。従ってそこに学術研究上の利益を素直に認めてこそ論理が一貫することになるのである。

また、右のことは、文財法第八〇条第一項についての原判決の判旨についても同様にあてはまるものである。

(五) 次に、原判決は、文財法第五三条第一項の「文化財を公衆の観覧に供しようとする者」について、法令上の申請権が与えられているという理由だけで不許可の処分について、取消訴訟の原告適格を認めているが、これは、原判決の立つ実定法主義の考え方の矛盾を示すものである。

一般に法令上の申請権が認められる場合には、その背後に実体的な権利の存在が前提とされているはずで、(たとえば、営業許可のときは職業選択の自由ないし財産権の自由)、もし原判決が「文化財を公衆の観覧に供する者」に原告適格を認めるとすれば、その実体的権利は国民の共有的財産としての文化財の特質を抜きにしては論じられないものといえよう。

そして右の者だけに文化財について享有権を認めるというのは、原判決全体の論旨に矛盾を生ずることになるのである。

(六) よって、学術研究者の権利、利益は、文財法、文財条例の全体の趣旨により認められていると解されるのである。原判決は、これを看過して安易に、上告人らの原告適格を否定したが、右が行訴法第九条にいう「法律上の利益」の適用を誤ったことは明らかであり、破棄を免れないものである。

第三点 原判決における文化財保護法の解釈適用を誤った違法について

原判決には文化財保護法の解釈適用を誤った著るしい違法があり、また、その点に関する審理不尽も著るしく、それらは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は取消されなければならない。

一、学術調査に関する文財法五七条に関する原判決の解釈適用の誤り

1 原判決は、その理由五において文財法五七条一項につき、独自の見解を示す。すなわち埋蔵文化財につき「その調査のため土地を発堀しようとする者」が多くの場合、考古学者等の学術研究者であろうとしながらも、同条二項の文化庁長官が行なう発堀の禁止、停止又は中止命令の処分については、その処分の相手方にあたる場合には抗告訴訟を提起しうるが、それ以外の場合には抗告訴訟を提起しえないものということだけに限定する判示をなし、その上、同条一項の「文部省令」である埋蔵文化財の発堀又は遺跡の発見の届出等に関する規則(昭和二九年文化財保護委員会規則第五号)一条一項六号の届出書の記載事項の中に届出人の外に「発堀担当者」欄があることを援用し、多くの場合考古学等の学術研究者がその担当者になるとしても、それは届出人である「発堀しようとする者」の単なる補助者的な地位にとどまる、という独自の見解を示している。

2 しかし、この原判決の判示は、文財法五七条及び前記規則の解釈適用を著るしく誤った違法がある。

① 考古学者らの学術研究者と発堀しようとする者との関係の誤認

先づ原判決が援用する前記規則によれば、その一条に列記されている届出書の添付書類の二号に「発堀担当者が発堀調査の主体となる者以外の者であるときは、発堀担当者の発堀担当承諾書」が必要とされている。このことは「発堀調査の主体となる者」(届出人)が「発堀担当者」と同一人である場合と然らざる場合とが共に存することが法令上予定されていることを歴然と示すものである。

つまり、「発堀調査の主体となる者」が「国もしくは地方公共団体の機関又は法人その他の団体」(右規則一条一項五号)である場合、考古学者など学術研究者を発堀担当者に依頼するなどして選任し調査をしなければ文化財保護は期し得べくもないので、その「発堀担当者」の承諾書が必要とされているのであるから、考古学など学術研究者自身が「発堀調査の主体となる者」である場合には担当者も承諾書も屋上屋を架けるものとして制度上、不要とされていることが明白である。

しかるに原判決は右の如き明文の規定さえ無視して、考古学等の学術研究者が調査主体であることを欠落させ、右学術研究者をば一義的に「発堀担当者」と明文の規定に反してまで限定するという誤りを犯し、「補助者的な地位」に閉じ込めるべく独断したもので、その文財法令の解釈適用を誤っていることは明白である。

② 文財法五七条一項による発堀調査の届出人とそれに基く前掲規則の発堀調査担当者とは同次元の並列的関係(学術調査の実例)。

学術調査と通常、称せられる文財法五七条の届出についての実例を末尾添付別紙表一に掲げ、同一目的でありながら届出人と発堀担当者が異なる例を別紙表二に示した。前者は学術研究者が個人として調査発堀の主体となる届出であり、その実施に際しては自費自弁を通例とするが、所属団体や研究機関の調査費が用いられる場合や、文部省の科学助成金の交付などを得て行なう場合もある。このような場合、学術研究者が文財法五七条一項の「発堀しようとする者」であり、主体的に外ならないことは前述のとおりである。

後者は、研究者が個人または共同、あるいは団体、機関を代表して発堀調査の担当者となり、所属する研究団体もしくは機関名による届出をする場合、研究者らの発堀調査の届出を、地方自治体の教育委員会経由で提出する慣例に鑑み、当該自治体と共催もしくは共同調査の形態をとる場合とがある。このの場合、自治体が調査費の一部または全部を補助・負担したり、発堀調査による出土品の帰属に関し、調査後に当該自治体の保存施設に移管するなどの条件が付せられるさいに、このような形態をとることが多い。地方自治体が、その史誌編纂事業を行うに際し、資料の充実をはかるため発堀調査を行なう場合もある。考古学、歴史学など学術研究者の指導のもとに自治体が調査を企画し、発堀調査資料を入手する方法は学術研究者の主体性が重んじられ、研究者と自治体との共催もしくは共同的関係で調査が進行される。

近年の傾向としては、地方自治体が考古学などの専門職員を配置して、研究機関もしくは博物館等の資料蒐集をはかる方法が多く用いられているが、この場合の発堀調査は所属専門職員が担当者となり、届出人は所属機関の代表者をあてる場合が多い。しかし、そうしなければならない文財法上の根拠は全くなく、単なる慣例でしかない。まして、専門職員とは通常学芸員資格者であり考古学などの専門的知識を有する研究者である。

こうして文財法五七条による学術調査の実例は、届出人と発堀調査担当者とが形式上異なる場合においてさえ、両者は上下の縦の関係にあるのではなく、同次元の、横の並列的な関係にあるのが実例であって、この実質からみても原判決の考古学等の学術研究者、すなわち「補助者的な地位」論なるものは全く文財法五七条の学術調査の目的、実例を無視した暴論といわざるを得ない。

また、これらのことは本件当事者適格を論究する上で一通り審理されるならば判然とした筈であったし、それをなさずに「補助的な地位」と独断した原判決は明らかに審理不尽の誤りにも陥っているものである。

二、文財法五七条二項の処分の相手方に関する原判決判示の解釈適用の誤り

1 原判決は、文財法五七条二項の発堀の禁止、停止又は中止命令の各処分について届出人のみが名宛人なるものと解釈、適用をしている。(原判決書三一丁表)

2 しかし、原判決の右判示は、その根拠を示さない独断であるが、右各処分の名宛人を届出人のみに限定すべき根拠はなく、逆に文財法五七条の文理上も、またその立法目的からみても届出人以外の者に対しても各処分はなされうるものでなければならない。

第一に、文化庁長官によるこれら各命令の名宛人は何ら明文上、届出人に限定されていない。このことは、これらの処分の名宛人は単・複を問わないものであることを示している。

第二に、これら各命令の制度上の趣旨、目的を考察すれば、これら処分は埋蔵文化財に対する保護上、学術調査であっても、特にこれら処分の必要が生じうる場合のありうることを想定したものである。

その中でも特に発堀着手後の停止命令については緊急の実効性確保が要請される場合のことであるから、何よりも発堀調査現場の担い手である「発堀担当者」に対しても命令が送達される必要がある。また、前記規則一条によれば、「発堀担当者」の氏名、住所、経歴(主として発堀等の学術研究歴)が届出事項とされているから、特に停止命令の場合は、単に届出人に対してのみならず発堀担当者に対しても命令の名宛人となしうるものと解する必要があり、またそう解されなければ、停止命令制度の趣旨にそわないものとなる。

従って、これら命令の名宛人の面からみても考古学者ら学術研究者が届出人となっている場合は勿論のこと、発堀担当者である場合にも、明らかに「補助者的立場」ではなく、被処分者とされるべき法的立場に立っているもので、考古学者らの学術研究者が被処分適格を有するものと言わざるを得ない。

従って、この点に関する前記1でふれた原判決判示は完全に文財法の解釈を誤っていることが明らかである。

三、文財法五七条一項の届出人は所有権者らの地権者ではなく学術研究者を予定

1 さらに、前掲規則(昭和二九年文化財保護委員会規則第五号一条)によれば、添付書類の三ないし五号は、発堀予定地の所有権者や鉱業権者の承諾書を要求しているが、これも、考古学等の学術研究者が届出人となって発堀調査を行なう場合、所有権者らと紛議が生じないように事前に所有権者等の承諾を得ておくことを届出の条件としたもので、多く学術研究者が届出人となることを予定した規定であって、決して所有権者等を届出人とするものではないことは文財法五七条一項の明文上まことに明白である。それ故にこそ文財法五七条一項は、学術調査のための発堀規定といわれているのである。(例えば椎名慎太郎著「精説文化財保護法」二二二頁)。

その担い手は考古学者ら学術研究者とみるのが常識であろう。

2 附言すれば文財法五七条の二は、土木工事等学術調査以外の目的の発堀に関する規定であり、同法五七条の学術調査としての発堀とは性格を異に、規定も異なっている。従って右五七条の二では学術研究者以外の地権者や工事施行者が処分の相手方となるが、両者の差異は明確である(地権者らの土木工事等に伴う事前調査の発堀については五七条二項の禁止・停止・中止の命令は出せないというのか、行政側の解釈前掲「精説文化財保護法」二三〇頁)。この差異を原判決では五七条の解釈として考慮していないように読めるのである。

3 要するに、文財法五七条は地権者らではなく学術研究者が同条二項の各処分の名宛人となっているのであるから、同法四三条、五三条、八〇条等の場合も考古学者ら学術研究者や展示会の企画者らが処分の相手方となりうることは明らかであり、逆に所有権等の地権者とは直接かかわりがないも明白である。

4 してみれば、埋蔵文化財保護規定の最初にして肝心要の位置を占める文財法五七条は、埋蔵文化財の中心的な担い手として考古学等の学術研究者もしくは保護の任にあたる学術研究団体(国の機関とか地方自治体、宗教法人、学術法人、その他の保護団体を含む)を予定し、正に、文化財が「貴重な国民的財産」であり、(文財法四条一項)、その保存と活用(同法一条)の軸としていることは毫も疑問の余地のないところといわなければならない。従って、文財法五七条二項、四三条、五三条、八〇条等における考古学等の学術研究者が処分の名宛人となりうる諸規定は、原判決の誤解するような限定的規定と解すべき根拠はない。

四、指定解除処分とのかかわりについて

1 以上からみて文財法五七条、四三条、五三条、八〇条等における考古学等の学術研究者に対する被処分適格の付与条項を指定解除処分とのかかわりで如何に解すべきかが問題となろう。

2 原判決はこれを限定的に解釈して、明らかな法令解釈の誤りにおち入った。上告人らはこれら被処分適格を学術研究者に付与する処分規定は、決して限定的なものではなく、明文のない他の処分においては、当該処分の性質や内容、それが文化財の保存と活用(文財法一条、四条)に及ぼす影響を考慮したうえで、その処分とのかかわりにおいては例示的な諸規定とみるべき場合があると解される。何故ならば、指定史跡が解除の条件を充たすことなく解除処分された本件の如き場合においては、原判決の如く、文財法解釈の誤りを犯すことを避けるためにも、且つまた文化財保護上の考古学等の学術研究者の地位が文化財の保存、活用の上で必要不可欠な中心として位置づけられていることからみても、指定史跡解除処分の当不当を司法的に吟味する機会が当該史跡と関係の密接な学術研究者によられなければならず、もしそうでないとすれば、貴重な国民的財産である文化財の保護をまっとうすることができないからである。

3 従って本件指定解除処分に対し上告人らの如き密接なかかわりあいがある学術研究者が、その処分の当否を争う場合には、文財法五七条を軸とする同法四三条、五三条、八〇条等の考古学等の学術研究者の出訴する権利を保障する諸規定は例示的なものと解されるべきである。してみれば、原判決は幾重にも文財法令の解釈・適用を誤った違法があるから原判決は取消されなければならない。

第四点 文化財の公益と利益主体の変遷及び発展

―原判決の空疎な反射的利益論―

原判決は、上告人ら学術研究者が史跡の保存・活用により受ける利益について次のとおり判示した。

すなわち、「県条例及び文財法の趣旨・内容・構造等からみて、被控訴人又は文化庁長官の右各法規定の適正な運用によって実現された公益保護を通じて、その結果として生ずる反射的な利益ないし事実上の利益である」と。(判決理由三・P23)

しかしながら右原判決の右判断は、判旨引用の文財法の趣旨・内容・構造等からみて文化財の公益として保護実現に関与している学術研究者の法的地位を著しく誤認看過したものといわざるを得ない。

そして「反射的利益」論は、文化財の公益がどのように実現されるかを知らない人のまさに空論といわなければならない。以下に論証しよう。

一、文化財の社会的評価の形成

―それは学術研究者らの顕彰の努力の所産である―

そもそも文化財には歴史的・芸術的・学術的など色々の価値があり(法第二条)、国や自治体はその中から社会的評価の高いものを選び、指定その他の方法で保護している。ところがこの社会的評価は初めから文化財に内在していたのではなく、文化財の愛好者や芸術家・学術研究者らの個別・具体的な顕彰の努力によって築き上げられてきたものなのである。

たとえば、全国各地の村々に伝わっている祭礼や年中行事は、今日では文財法に有形・無形の民俗文化財として位置付けられるまでに社会的評価が定着したが、戦前まではそういう法的保護は全くなされず、村々の氏子集団の手で辛うじて守られてきたのである。従って、柳田国男氏のような先駆的民俗学者の顕彰の努力がなければ、今日のような社会的評価も法的保護制度も到底ありえなかったのである。同様に能・歌舞伎・雅楽・人形浄瑠璃などの古典芸能や陶器・漆器・日本画・彫刻・刀劔などの古典工芸も、優れた道具や製作物は戦前から重要美術品として保護されてきたが、演技や工芸技術そのものは民間の伝承者や愛好家・研究者からなる保存団体によって守られていたのである。

一九五〇年に文財法が制定された時、右の古典芸能や工芸は無形文化財として位置付けられ、重要なものの指定に当っては、その技能者を無形文化財保持者に認定することになった(法五六条の三第二項)。いわゆる人間国宝がそれである。次いで一九七五年の改正の際は、技能者個人に留まらず保持団体も認定の対象に加えられた。また民俗文化財の場合も、当初文化財法では有形の民俗資料―衣服・器具・家屋などの生活・生産用具―だけが指定の対象にされていたが、七五年の改正で重要無形民俗文化財も指定の対象になった。但し前述の重要無形文化財とは違い、保持者・保持団体の認定はしないが、「その保存に当たることを適当と認める者」に経費の一部補助・助言・勧告をできる定めになっているので(法五六条の十・十八・二十)、事実上の認定と評価されている。さらに未指定の無形文化財・無形民俗文化財の場合も、同様に「適当な者」に保存・公開・記録作成等の経費を一部補助できる定めになっている(法五六条の九・二十一)。

右にみたように無形文化財をめぐる法的処遇の変遷の歴史は、文化財の保存・活用が専門研究者らの永年にわたる顕彰の努力と所産を法的にも正当に保護・承認しそのような方向が潮流として発展してきたことを物語っている。まさに文化財の公益の実現にこれらの専門研究者は直接・主体的利益をになってきたことが明瞭であって、「反射的利益」論は、まさに事物の実体から遊離倒錯した机上の観念論でしかあり得ない。

二、文財法上の権利――利益主体は、文化財の保存と活用主体に着眼して附与され、形成、発展している。

前段で詳論・指摘した如き無形文化財をめぐる研究者らが、文財法上も、保持者・保持団体として昇華発展し、認定制度の処遇のなかで法的保護を獲得して来たことは、文化財行政のなかでも刮目すべき生成展開である。

このような保持者・保持団体の認定等の制度は、芸能・工芸・無形民俗文化財等が本来その保持者・保持団体と不可分一体である所から生まれたことは間違いないが、しかし重要文化財とその所有者の関係もこれと似たところがあり、無形文化財だけの特殊事情といえないことは勿論である。

即ち、文財法には指定文化財の管理団体を指定する制度があり、有形の重要文化財は法三二条の二に、史跡名勝天然記念物は七一条の二にそれぞれ規定がある。文財法は原則的には指定文化財の管理義務を所有者に負わせているが、特別の事情があれば所有者の選任する他の管理責任者に代行させ(三一条)、所有者不明または所有者・管理責任者による管理が困難・不適当な場合は、文化庁長官が自治体その他の法人を管理団体に指定する事ができる定めになっている(三二条二)。

今これらの規定を指定文化財の実態に照してみると、重要文化財の所有者の大部分は社寺や財団法人であり、個人所有者は僅かしかいない。財団法人も近衛家の陽明文庫、尾張徳川家の徳川黎明会、前田家の前田育徳会、岩崎家の東洋文庫と静嘉堂文庫など旧貴族・大名・実業家の家蔵品やコレクションの管理団体が大部分である。さらに史跡名勝天然記念物について見れば、大寺社や農林省等の所有するものも可成りあるが、大部分は文化庁が都道府県市町村を管理団体に指定している(文化庁『文化財保護提要』資料編、国宝・特別史跡名勝天然記念物一覧)。

以上の考察から次の点が明かである。

(1) 文財法は、重要文化財の所有者らに管理義務を課すると同時に、その経費を補助しているが(三一・三五条)、この所有者は寺社などの宗教法人、旧貴族・大名の家蔵品や明治以後の実業家のコレクションを管理する財団法人が大部分となっている。

(2) このように文財法が文化財所有者の法律上の利益を保護しているのは、単なる財産権の保護のためではなく、文化財と所有者が不可分な関係にあり、文化財の価値を実現するためには所有者を切り離せないからである。その典型的な例は無形文化財の保持者・保持団体であるが、重要文化財の場合も同じ事がいえるのであって、東大寺の大仏や建物は宗教法人東大寺の宗教活動と切り離してその文化的価値を考えることができない。文化財の価値は、単に物だけでは不十分で、それを活用する個人・集団があってこそ初めて完全に実現するのである。

これらの保持団体や法人は、みな各自の文化財を自力で保持・活用してきた長い伝統と実績を持っており、この事が文財法上の権利を認められた理由である。

従って、たとえ所有者でも、自ら文化財の保存と活用を行う力がなければ、文化庁長官の指定する管理団体に委ねなければならないのである。

(3) これに反して、史跡名勝天然記念物は、明治以後欧米の近代的文化財制度を採り入れた新しい文化財範疇だったので、重要文化財や無形文化財のような管理能力のある所有団体・保持団体が少なく、やむなく地方自治体を管理団体に指定してきた。この点欧米先進諸国では事情が異なり、イギリスでは八八年前に民間の法人団体ナショナル・トラストが出来て、重要な遺跡・古城・貴族や領主の館・庭園・景勝地などを受贈・購入して保存・公開を計っており、国も一九〇七年にナショナル・トラスト法を定めて最大限の法的保障をして来たので、現在では英国第三位の大土地所有者になり、文化財保護の中心的役割を果している。

(4) 最近では日本でも自然環境保護団体の間でナショナル・トラスト法制定の運動が起っているが、文化財保護団体との間の連繋が未成熟であるとか、開発・経済成長政策の弊害に関する社会的認識がまだ不十分である等の理由から、法制定までにはまだかなりの年月を要すると思われる。文化財は一度破壊されたら絶対に回復できない。従ってこの間地方自治体が管理団体となって文化財の保持・活用に当るのはやむえない措置であるが、しかし自治体は他方では地域開発の主体という任務を負っているので、文化財保護だけに徹し切れない欠点がある。また、文化財の学術的評価にまで行政が立ち入ることになると、憲法の保障する学問研究の自由を侵害しかねない。事実、伊場遺跡の指定解除はこのような自治体による管理の弱点を端的に露呈させたものである。

上告人らの学術研究者らが、この点に於て遺跡の保存・活用に於て、直接、かつ主体的にその顕彰の努力をつくしてきたことは、一件記録上、誠に顕著なところであって、文財法上、その趣旨・内容・構造からみても、かかる保存・活用主体者らに紛争の法的利益が是認さるべき正当な根拠があるものと思料する。

しかるに原判決は、県条例・文財法の皮相形式的な解釈に終始し、上告人ら文財法上具有する実質的利益を、単なる反射的利益として一蹴したことは、右法条の解釈を誤った著しい非違といわなければならない。

第五点 代表出訴権と国民の文化財享有権に関する原判決の判断の誤りについて

一、はじめに

原判決はいう。曰く「控訴人らが本件伊場遺跡の保存・研究について真摯な活動を続けていることは、明らかであり、政府地方公共団体においても、また、一般国民としても、文財法の趣旨に従い国民的財産である文化財の保存に努めその文化的活用を図るべきことはいうまでもないところであるが、右のような意味においての代表的出訴資格を認めた規定の存在しない現行法制のもとにおいては、控訴人らに住民又は国民を代表して本件史跡指定解除処分の取消しを求める訴を提起する資格を認めることは困難といわざるを得ず……」と(判決理由六・P34)

いわゆる代表出訴権に関する控訴人の主張について、原判決は、一審判決と全く同様に文財法の形式的文理解釈のみに皮相に拘泥して排斥した。しかし、文財法の実質と文化財行政の展開の多様な実態に着目すれば、現行法制下においても上告人らにその主張の如き代表的出訴資格が容認されるべきであり、これを誤認看過した原判決には、重大な違背があるものというべきである。

二、文財法と文化財行政の展開は、文化財の保存・活用主体に実質上、代表出訴権を容認しているものというべきである。

一九七五年一月一〇日に一審の静岡地方裁判所に提出された「文化財保護行政に関する国民の訴えの利益」と題する東京都立大学教授兼子仁氏の鑑定書は、本件原告らに「伊場遺跡を守る会」の代表的メンバーとして代表出訴権を認めるのが、行訴法九条の「法律上の利益を有する者」の妥当な条理解釈であるとの法的所見を明らかにした。これに対し、一・二審判決はともに、現行法制ではこの種の代表的出訴資格を認めた規定が存在しないとの形式論で、これを排斥した。

しかし、前述のとおり、文財法上の権利を認められている所有者の実態は、単なる個人の私的所有権者ではなく、宗教法人や財団法人、無形文化財の保持団体――この場合も財団法人であることが多い――またはこれに准ずる団体であり、個人所有者に管理能力が欠ける場合は前述のように自治体その他の法人が管理団体に指定されるという文化財行政の実態を考えると、文財法は事実上この点で団体出訴権を容認しているものと考えざるをえない。しかもこれらの民間団体は、その所有する文化財を保存・活用してきた歴史的実績を持っているので、その点からいえば、わが国の文化財の公益は昔から民間団体の力で実現され、今なお多くを民間団体に負うているといわなければならない。このような観点からすれば、一・二審判決のように、現行法制上代表出訴権を認めた規定がないという判断には重大な誤りがあるものと考える。

三、国民の文化財享有権の歴史的存在構造とその発展

(一) 国民による文化財保護の伝統

前述のとおり文化財の擁護者として機能してきた民間による右の伝統的な文化財保護団体を成立たらしめていたものは、この文化財を愛好活用する巾広い国民だったという点に注目する必要がある。例えば、歌舞伎は役者・戯作者・裏方など直接上演にかかわる人間だけではなく、江戸・大阪の町人観衆がなければその伝統は守れなかったし、村々の神事芸能も村人全体の信仰と保存の努力がなければとっくに亡んでいた筈である。東大寺の大仏と堂舎も、僧侶・信徒の努力だけではなく、源平争乱の後、源頼朝が焼落ちた大仏殿を再建したり、全国の数知れぬ善男善女の寄進に支えられて維持されてきたのである。このような伝統は現在もなお生き続けており、数年前の大仏殿の修理の際も、屋根瓦は参拝者の寄進で作られた。文化財が国民共有財産といわれる所以は、このような文化財保護の伝統によるものである。

(二) 明治期以後の近代化政策と反射的利益論の形式およびその虚構

ところが、明治以後の近代化政策、特に戦後の急激な経済成長と国土開発政策は、このような国民の文化財保護の伝統と意識に大きな影響を及ぼし、社会の変化に即応した新しい文化財政策の必要性が早くから識者の間で叫ばれてきたにも拘らず、経済成長に比べると文化財保護の重要性の社会的認識は非常に立ち遅れてきた。なかでも重要な点は、国民自身が主体的に文化財の保存と活用をしようとする意識が薄れ、文化財の保存は国や自治体に任せておけばよいという誤った通念が生まれてきたことである。一・二審判決の反射的利益論はこのような通念と無関係ではない。

しかしながら、このような他人任せの考え方では、到底文化財を守ることができる筈はない。社会の近代化に伴ない、旧来の文化財保護の伝統だけに頼っていられなくなるのは当然であるし、そういう変化に対応した新しい国の文化財政策が必要なことはいうまでもないが、しかし国や自治体の力だけで文化財を守ることができると考えるのは大きな誤りである。何よりもまず文化財を守ろうとする国民の自覚と努力が、必要なことは、無形文化財や重要文化財についてすでに明らかにした。この事は史跡名勝天然記念物についてもあてはまるのであって、その実例が英米のナショナル・トラストである。国の保護行政の本来の任務は、文化財を公有化することよりも、むしろ文化財の保存と活用を自分たちの手で実現しようとする国民の努力を援助することにある。ところで、控訴人の主張する国民の文化財享有権は、国が保護する文化財をただ単に活用するという権利をいっているのではなく、右に述べたように、国民自身の努力で文化財の公益を実現しようとする諸活動の適法性を表現したに過ぎないのである。しかもここに享有権の本体と根幹がある。このような考え方は、すでに前述来、詳論してきたとおり、文化財保護行政の実情に照しても決して矛盾しない。

これからの日本の文化的発展を考えると、すでに憲法二三条の学問の自由や二五条の文化的生存権の規定で明示されていることではあるが、さらに具体的に国民の基本権として明確にしてゆく必要がある。

(三) 文化財保護法上の学術研究者の法的地位

学術研究者の権利が憲法二三条の学問の自由の基本権に由来することはいうまでもないが、右に述べた国民の文化財享有権との関連でいえば、その特殊な一形態ということができる。文財法上ではすでに詳述したとおり五七条において最も明確にこの権利が保障されているということができよう。この場合の学術研究者は、単に研究者個人だけではなく、研究団体も含まれることは、五七条の発堀調査の届出の実例から見ても明らかである。

それでは、学術研究者はなぜこのように文財法上の権利を保障されているのであろうか。重要文化財の所有者や無形文化財の保持者らの権利が保障されているのは、すでに述べたとおり、これらの人々や団体が文化財の公益を実現する主体だったからである。これに比べると、学術研究者は、所有団体・保持団体の外から客観的にその文化財の公益の実現に参加するという役割を果している。例えば、能の研究者は、演技・演奏の外界に立って、それらの表現様式の生まれた歴史的経緯や、過去の演技者たちの苦闘と創意工夫を解明することにより、現代の演技の向上に貢献している。また寺社の研究者は、寺社所蔵の仏像や神像・建築・書籍・古文書等を研究することによって、美術史・宗教史・建築史・政治経済史などいろいろの視野から、その寺社の文化的・歴史的意義を明らかにしている。このように、学術研究者も間接的ではあるが、文化財の公益の実現に不可欠な役割を荷負っており、この事が文財法上の権利を保障されている理由と考えられる。

ところが、史跡名勝天然物の場合は、右の重要文化財や無形文化財のように伝統的管理団体がないために、どうしても専門研究者が文化財の価値を明らかにして、自ら保存運動の先頭に立たなければならない。その事は、一九一九年の史蹟名勝天然記念物保存法の制定経過を見ても明らかである。

初めドイツに留学していた植物学者三好学が彼地の自然保護運動に関心をもち、帰国後の一九一一年に「史蹟及び天然記念物保存に関する建議」を貴族院に提出採択され、同年提案者の徳川頼倫を会長とする史蹟名勝天然記念物保存協会ができた。この国会決議を受けて、府県でも規則を定めて保存に乗出すようになり、一九一一年には全国法が制定されたのである。

このような専門研究者の役割は、重要文化財についても指摘できる。維新直後、西欧文化崇拝や廃仏毀釈運動によって、伝統的文化財は深刻な危機に見舞われた。このような情勢に対処するために、一八七一年太政官から「古器旧物保存方」が布告され、古社寺への補助金の交付や古美術品の全国調査が行われたが、この太政官布告は、同年四月大学から古器物保護に関する建言書が提出されたのが動機になっている。さらに一八九七年には最初の近代的な文化財保護法である「古社寺保存法」が制定されたが、そのきっかけは、前年近衛篤麿らが提案した『古社寺保存会組織ニ関スル建議』であった。近衛家は鎌倉時代以来の摂関家で、その文庫「陽明文庫」(今は財団法人)には藤原道長の日記「御堂関日記」をはじめ多くの先祖伝来の典籍文書が秘蔵され、現に国宝・重要文化財に指定されているものも少なくない。このような家柄の人だからこそ、文化財の重要性をよく認識していたと思われる。

このようにして、日本の文化財保護制度は、専門研究者や識者の努力で次第に整備されていったのであるが、考古学関係の文化財の場合は、以下のような事情から、敗戦まで研究者が自由に研究したり保存運動をできなかった。

(四) 歴史考古学研究者の文化財保存運動と文化財公益実現への全身的寄与

日本の考古学の芽生えは一八世紀頃といわれ、一七八四年博多湾の志賀島で「漢委奴国王」の金印が発見され、福岡藩の儒者青柳種信が調査記録し、一七七三年に刊行された木内石亭の「雲根志」には石匙や子持勾玉が収載されている。また水戸光圀は領内の古墳の調査記録を行い、一八〇八年には蒲生君平が畿内などの山陵を踏査して「山陵志」を著わし、一八六二年には宇都宮藩三戸田忠恕の建議で大々的に山陵修理が行われ、その記録が宮内庁に残っている。

しかし、これらの調査は、江戸時代の金石学の流行や尊王運動によるもので、原始古代の人類の生活を科学的に研究しようとする近代考古学の考え方はまだ生まれていない。日本の近代考古学は、一八七七年にアメリカの動物学者E・モースが大森貝塚を発堀調査して縄文文化を発見した時から始まった。ところが不幸な事に、当時の日本は近代化と並んで皇国史観を国是とし、政府による天皇陵の比定事業が進められていた時期だったので、記紀伝承に背馳する研究は圧迫されてきた。東大最初の人類学教授で、日本人類学会の創立など考古学の開拓に尽した坪井正五郎は、モースと同じく縄文人プレアイヌ説(コロボックル説)を唱えたが、これは研究成果が記紀伝承に抵触しないための配慮といわれている。また一九二〇年に東大の和辻哲郎は、銅剣・銅鉾文化圏と銅鐸文化圏の対立という当時の考古学界の通説を基にヤマタイ国東遷説を唱えたが、この説は記紀の神武東征説話と符合する点で、広く受容れられた。このような状況であったから、遺跡の保護も天皇陵や平城宮址など天皇や中央国家機構にかかわりの深いものが中心で、埋蔵文化財の学術的価値は二義的にしか扱われなかった。

敗戦後、皇国史観の束縛から解放され、考古学者は初めて自由な科学的研究ができるようになった。それと同時に、一九五三年岡山県柵原町の月の輪古墳で試みられたように、研究者の指導下に、住民参加の学術発堀調査を実施し、埋蔵文化財の保存運動を高めようという試みも盛んになった。こうして戦後の考古学ブームが起った。ところが一九五〇年代の中頃から経済高度成長時代に入り、全国各地で開発工事が盛んになると、第二の考古学の受難期が始まった。研究者は、埋蔵文化財が無調査のまゝ破壊されるのを防ぐため、やむなく事前調査を引受けることになったが、調査に追いまくられて、次第に学術調査も保存運動も困難な状況になってきた。

しかしこのような情勢下でも、考古学研究者の保存運動は絶え間なく忍耐強く続けられ、次々に大きな研究成果を生み出してきた。一九四七〜五〇年の静岡県登呂遺跡の発堀は、弥生農耕集落の全貌を明らかにした最初の調査で、以後の古代農業研究の基準点となった。また一九四九年に相沢忠洋が発見した群馬県岩宿遺跡は、日本には旧石器時代がないとされていた考古学界の通説を完全にくつがえし、その後の先土器時代の研究の出発点となった。さらに、一九五四年から始まった大阪市の難波宮址の発堀調査と保存運動は、市の中心部という極めて困難な条件にもかゝわらず、大阪市大の故山根徳太郎教授の生涯をかけた顕彰保存活動と多数の古代史・考古学研究者や市民の調査保存運動によって、一九七三年までに五八次の調査が行われ、一九六三年には大極殿跡に近畿財務局の第二合同庁舎を建設しようとする市の計画をくつがえして、宮跡の中心部を国史跡に指定することに成功した。さらに一九六一年には、平城宮跡内に近畿日本鉄道の車庫を建設する計画がもち上ったが、これも全国的な研究者国民の保存運動によって食い止め、以後の宮城全域の指定と国有化および発堀調査の道を拓いた。

このように見てくると、埋蔵文化財の保存上、古代史や考古学の研究者が如何に重要な役割を果してきたか、改めていうまでもないであろう。本件伊場遺跡の場合も、平城宮跡と同じ一九六一年に開発計画が起り、一九六八年以来地元の遠江考古学研究会による調査保存運動が始まり、七四年には平城以来といわれる全国的な古代史・考古学研究者・国民の保存運動に発展した。その結果これまで一三次にわたる遺跡の調査と、国鉄浜松工場内や可美村の城山遺跡などの周辺関連遺跡の調査が行われ、地方遺跡としては全国にも例をみない貴重な遺物・遺構が発見され、とくに律令国家成立史のこれからの研究には不可欠の標準遺跡として当然国指定にすべきであるとの声が有力になっている。残念ながら国鉄と浜松市は既定の開発計画を変えようとせず、県教委や文化庁に強く働きかけて、強引に違法な史跡指定解除をさせてしまった。

このような場合、果して控訴人ら研究者には解除処分の取消を求める法律上の利益がないといえるであろうか。われわれは一・二審判決が実体法規の形式論理に藉口して控訴人らの原告適格と代表出訴権を不当不法と排斥したものと断ぜざるを得ない。そこで、これまでの論点を整理し、結論を述べる。

四、むすび

(1) 控訴人らは、研究者の法的権利は文財法で保障されていると考える。特に五七条の学術調査の規定は、最も明確にこの権利を示したものと確信する。

(2) このように文財法が学術研究者の権利を保障しているのは、一には憲法二三条の学術研究の基本権に基くのであり、学問の自由の保障なくしては学問の発達はありえないし、国民の文化的向上も望みえないという学問研究の基本条件に基づいている。

(3) 第二に、文財法は文化財所有者らの権利を保障しているが、それは単に所有者らの財産権を保護するのが目的ではなく、所有者らが文化財の保存と活用を自ら行う能力を有するがためであり、学術研究者の場合も、学術研究活動が文化財の保存と活用の不可欠な役割を負うているが故に、文財法上の権利を保障されているのである、とみるべきである。

(4) 学術研究者の出訴権を認めると、法的不安定性を招きかねないと二審判決はいうが、右の非なることはすでに前述の如く文財法の運用上で団体出訴権が認められているし、控訴人らの「伊場遺跡を守る会」が、多年にわたり伊場遺跡の保存に尽してきた団体であることは、一審判決でも認められているから、この要件に適う原告適格を認めても濫訴の弊を招く心配はないといわざるを得ない。

(5) 控訴人らの原告適格を認めるには、新規の立法が必要ともいわれているが、しかし右の(1)〜(4)の観点からすれば現行法の運用で十分可能と考えられる。ナショナル・トラストの設立こそ新規立法が必要であるが、本件の出訴権はこの立法をまつ必要はないと考えられる。

(6) 判決は文財法上指定解除の際の抗告訴訟に関する規定がないというが、同様に指定と解除の申請の規定もないのに、一九五四年に所有権のない伊場遺跡保存会(会長は当時の市長坂田啓造)の申請により史跡指定が行われ、一九七三年には国鉄と浜松市の申請により解除が決定されたのであるから、規定がないことは理由にならないと考えられる。

以上の理由により、上告人らは、原判決で示された行訴法九条の「法律上の利益」の法解釈には重大な誤りがあり、上告人らの文財法上の法的地位を誤認看過して原告適格と代表出訴資格を排斥した原判決の誤りは上告審に於て速やかに是正さるべきものである。

表1、表2―(イ)、(ロ)、(ハ)〈省略〉

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